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地方出身者が思う、都会の暮らし方への違和感

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こんにちは、うさみしんごです。

 

 

ど田舎の生まれで、大学進学率が10%を切る高校に通っていました。

偏差値30台でした。

出身高校の主な進路は地元企業です。

 

 

大学で都会に出て、社会人になってからはブラックを含めて中小企業を渡り歩き、今は東証一部上場の中堅企業に勤めています。

 

ちなみに結構、ホワイト。

 

 

いる場所の振れ幅が大きすぎると感じることが多くなりますね。

 

 

今回はそんな立場の違いから感じていた違和感を2つだけ書きます。



地元がないのは当たり前?

都会暮らしや大きな会社では当たり前のようになっているけど、ど田舎出身としては結構衝撃なことについてです。

 

 

田舎の暮らしでは先祖代々、その土地で暮らしてきて。
畑があったり、周りに親戚がいたり。

 

更には世代を超えてのご近所付き合いがあったりするんですけどね。

 

 

都会暮らしだと全くない。

全国転勤は当たり前で、仕事の中で縁があった地域に家を建てて、老後に帰ってくるなんて人もいる。

 

 

生まれは九州、育ちは東京。
そして転勤しながら関西に家を建てて、海外に勤めて老後に関西の家で暮らす。

 

みたいな人。

 

 

田舎の民としては「地元=自分のバックグラウンド」なんですよ。

もはやアイデンティティの一部と言って差し支えないほどの重大要素なんですよ。

 

 

だから地元がない、というのは根無草の仮住まい、みたいな印象がどうしても出てきてしまう。

 

 

「あなたはどこに帰るの?」みたいな感じ。

地元を失うことは自分の一部を失うことと、同義くらい重たく考えているんですけど、割と当たり前のような風潮があって違和感があります。

家族ってなんだ?

似たような話で「家族ってなんだろう?」という違和感。

 

 

田舎だと共働きでも、じいちゃん、ばあちゃんがいる家も多いんです。

ただ都会に出てくると、核家族がやはり多い。
そして、結構簡単に散り散りになる。

 

 

例えば、大学進学を機に家を出て就職しても全国転々としている人。

転勤と単身赴任で定年間際まで家族と離れて暮らす人。

家族で暮らす時間が少な過ぎて「家族ってなんだろう?」と感じてしまうんですよね。

 

 

ついでに言えば会社の命令優先で家庭や土地とのつながりから引き剥がされるのって、どうなんでしょうかね。




当たり前ってなんだ?

私は会社の都合で、人生の多くを決められてしまうことには違和感があります。

 

 

でも、転勤族家庭に育った人はこれが当たり前みたいな反応です。

都会に育った人には地元との繋がりを失う不安感はわかってもらえません。

 

 

結局、当たり前って育った環境で大きく違うんですよね。

 

むしろ、親戚や近所付き合いの方が珍しいがられたりします。

 

 

価値観って育った環境に影響を受けるので、その人にしかわからないものなのかもしれません。