こんにちは、うさみしんごです。
少し前に独学大全、という本が話題になりました。
皆さんは買いましたか?
これです。
私は買いました。
そして、積んでいるのでそのうち読みます。
今回話をしたいのは「答えのない問題との向き合い方」というお話です。
よく言うじゃないですか。
学生の頃の勉強は答えがある、でも社会に出たら答えのない問題ばかりだ、とか。
資格試験には答えがあるが、実務では答えはない、とか。
「答えのない問題に対応が出来ないやつは使い物にならない」とさえ言う人もいます。
「じゃあ、その答えのない問いとやらはどうすればいいんだよ」というお話です。
結論、筋を通して考えられるか。
先に言いますが、持論でごめんなさいね。
持論なんですが「答えのない問いに答えられた」といえるのは、筋を通して考えられているか、に尽きるんです。
問いから答えまでの論理が通って、客観的に見て妥当性もある。
そんな答えを、答えを出した当人が腹落ちして、自分の思考で組み立てて、出せるようになったら「答えのない問いに対応できる状態」と言って差し支えないと思います。
そういう意味で筋を通して考えられるか、というのが一つの基準かなと。
筋を通して考えられるようになるには?
「ひとつの分野を突き詰めるように突っ込む」
たぶん、これが一番手っ取り早いと思います。
ひとつの分野に徹底して、どっぷり浸かる。
そういう経験をすると嫌でも「ひとつの答えを多面的に眺める機会」ということが出てきます。
そして、その多面的な視点からのツッコミをひとつひとつ吟味して、きちんと答えられるようになると、ひとつの答えに対して妥当性のある根拠が示せるようになります。
問いから答えに至る道筋が繋がります。
根拠という支えをもって。
気づけると、分野が変わろうとも同じ仕組みで転用が出来ます。
結果、答えのない問いに答えられる人が出来上がります。
突き詰めたか、どうか。
力を入れたのが学校の勉強でもいいんです。
ただ「決まった答えが出たらOK」ではなく「なぜこの答えになるのか?」「この答えにならないような考え方はないか?」とか、自分なりに根拠を紐付け、筋を通せるようになればいいんです。
答えのある問いでも、そういう向き合い方をしていると汎用性の高い「答えのない問題に答えが出せる能力」が身についたりします。
という、一個人の見解でした。