こんにちは、うさみしんごです。
最近の悩み事は視座が低いことです。
何というか、やっていることに対しての「コレジャナイ感」があるというか、葛藤があるというか。
そういうしっくりきていない考えが強いのです。
視座が低い。
このブログしかり、Twitterしかり。
割と仕事の話を多めにしています。
営業で成果を出すためのあれこれに時間を使い、プライベートの時間で本を仕事の本を読み。
なんだかんだでキャリアアップもきちんとやってはいると思います。
周りからは「エライね」と言われるくらいにはね。
でも、改めて考えてみると違和感があるんですよ。
「別に上手に働きたいわけでもないんだよなぁ……」とも思うんですよ。
出世に人生を捧げるわけでもない。
仕事のために生きているわけでもない。
愛社精神は全然ない。
会社から上手く使われるために頑張りたいわけでもない。
にもかかわらず、やってきたことというのは「上手に雇われるためのこと」でしかないんじゃないかと感じています。
「振られた仕事をどうやって上手く処理するか」とか、どうでもいいんですよ。
そもそも自分の視座が「雇われの立場で、与えられた地位を前提に上手くやりくりするためのもの」になりつつあるんじゃないかと思うんです。
前にこんな記事も書きましたが、使われるためのコミュニケーションスキルに注力しているイメージです。
実際はコミュニケーション能力に留まらず、スキル全般で起こっている事ではありますが……。
何がしたいの?
「何で仕事を頑張っているの?」と聞かれたら、どうでしょう。
楽しいこともあるから、が半分。
やらないといけない、という義務感が半分。
とでも答えるでしょうか?
仕事をしていて楽しいことは、同じような条件で動く同僚に競争で勝ち負けがつけられることだったりします。
営業だからね。
負けず嫌いなので、比較しやすくわかりやすいのは楽しいです。
あとは興味を満たしてくれるから。
自分が知らないことをたくさん知れる。
客が教えてくれたり、知れば知るほど知らないことが出てくるのが楽しい。
そして、自分のトライアンドエラーが楽しいから。
ドMなので、自分の活動をつぶさに記録しながら残業になろうとも次の活動にフィードバックをし続けます。
誰かに言われたわけでもないのに。
自分がやれること、見えることが広がることが楽しいので仮説立てて試す、そしてフィードバックを取りながら、また次の仮説……ということが楽しいのです。
「やりたいこと」で言えば、人の熱が動くようなことをしたい。
本気で何かをやりたい誰かと、ああでもない、こうでもないと頭を悩ませながら何かを成すようなことがしたい。
今の仕事は業界的に、そういう話を含んでいるので楽しさはあるんです。
一方で、誰がやっても同じような事務処理とかは本当に嫌いです。
テキトーだし手をつけようとしないからね。
悪いクセなのは分かってます。
視座が低くて、視野が狭い。
昨今、経営者の人や独立してる人の話を聞く機会が増えました。
YouTubeやウェビナーなんかで気楽に配信も聞ける世の中ですからね。
で、聞いていて痛感しているのは自分の視座の低さと視野の狭さなんですよ。
上に立って組織を動かす人は「どうしなければならないか」よりも「自分が何をやりたいか」なんですよ。
他人からどのように評価されるかとか、上手く関われるかではなく。
何を成せるのか、という価値基準なんですよね。
一方で自分は何を成すかよりも、他者からの評価や、自分の仕事をどうやるのかを気にしがちです。
使われる側の視座になってしまっています。
当然、気にすることができる視野の範囲も狭いのです。
自分が何者で何をしたいのか?
というわけで、そんな悩み事が出てきて副業を始めました。
まず「自分が何をしたいのか?」が難しいんです。
使われる側で生きてきたので「自分が何者で、何がしたくて、何ができるか」が全然ないんですよ。
「俺は麦わらのル○ィ!海賊王になる!着いてこい!」みたいなことが示せないんですよ。
自分はこういう者で、
こんなことをしていく、
そして、こんなことができる。
ということを示せないんですよ。
だから事業も作れない。
やっぱり、生き方や視点、考え方がまるで違うなぁと痛感しています。
ここからやる。
とは言いながらも、自分にはない視座で生きている人がいて。
彼らのようにやっていきたいという願望は自覚が出来ました。
試行錯誤だらけですが、徐々にやっていけたらと思います。