「消えてしまいたいくらい毎日の仕事がしんどい」と感じたことがある人には読んで欲しい記事です。
つらい仕事から抜け出すためには何から始めたら良いのでしょうか?
答えは「正常な思考を取り戻すこと」です。
心身に異常が出るほどのストレスにさらされていると、まともに頭が回っていないことがよくあります。
そして、タチが悪いことに自分ひとりの力では自覚することすらできません。
仕事のつらさから抜け出すためには考えて、行動に移すことが必要です。
偏った考え方しか出来ない状態だと、判断や選択を誤りやすくなります。
仕事のつらさを理由に転職を考えるのであれば「自分の考え方が正常か?」という点は一番初めに検討しておくべきポイントです。
Contents
正常な思考と異常な思考
ここで言う「正常な思考」とは、目の前で起きた物事をありのまま捉えて、妥当な流れで考えられることを指します。
仕事で弱った人は明らかに偏った考え方をしてしまうことがあります。
例えば社内提出の書類作成でミスをしたとしましょう。
現実に起きたことは、社内提出の書類にミスがあった、というものです。
自分で気づくか、上司から指摘された時に訂正すればいいだけの話です。
しかし、仕事に疲れ果てて弱っていると次の例のように、どんどんと不安を大きく膨らませてしまいます。
(例)
書類作成でミスをして上司から指摘された。
↓
上司は私のミスにイラつきを感じたはずだ。
↓
私はミスをするだけではなく、仕事も遅い。
↓
だからきっと、上司にもお客様にも呆れられている。
↓
仕事が出来ない自分は役立たずなんだ。
↓
もう絶対にミスをしてはいけない。ミスをすることは絶対に許されない。
目の前の現実で問題になっていることは「今、提出した書類にミスがあった」ということだけです。
失敗を咎められているわけでもなければ、仕事ぶりを責められているわけでもありません。
ましてや「役立たず」と存在否定までされているわけではありません。
ただ、仕事がしんどくなってくると今回の例のように正常な思考で物事を考えることが出来なくなってきます。
結果として、どんどんと自分の中でマイナス思考を膨らませてしまい、適切な判断が出来なくなってしまいます。
正常な思考を取り戻すメリット
正常な思考を取り戻すことにはふたつの観点から大きなメリットがあります。
- 不要なつらさを断ち切ってくれる。
- 適切な判断を助けてくれる。
それぞれに見ていきましょう。
不要なつらさを断ち切ってくれる。
正常な思考を取り戻すこと自体がつらさを断ち切るための手段になり得ます。
不安を膨らませてしまうような考え方に支配されている時は、1の不安を10にも20にも増幅させて捉えてしまいます。
些細な出来事を悪い方向に大きく飛躍させて考えてしまうので日常生活が非常につらくなります。
もしも不用意に不安を膨らませる思考を止めることが出来れば、それだけでも仕事のつらさを断ち切ることに繋がります。
適切な判断を助ける。
正常な思考を取り戻すことは適切な判断力を取り戻すことにも繋がります。
例え話として先程の書類作成ミスの例をもう一度見てみましょう。
(例)
書類作成でミスをして上司から指摘された。
↓
上司は私のミスにイラつきを感じたはずだ。
↓
私はミスをするだけではなく、仕事も遅い。
↓
だからきっと、上司にもお客様にも呆れられている。
↓
仕事が出来ない自分は役立たずなんだ。
↓
もう絶対にミスをしてはいけない。ミスをすることは絶対に許されない。
現実に起きたことは「書類作成でミスをした」ことです。
間違えないための対策を取るのであればまだしも「絶対に間違えない」という気持ちだけでは必ず再発します。
もしも不安を膨らませずに捉えられていたのであれば「何で間違えたのだろう」と原因に焦点を当てて対策することが出来たのかもしれません。
増長した不安に支配されると判断を誤りやすくなります。
適切な判断が出来ていないその他の例
実体験として、次のような人も見たことがあります。
どれも「不安が増長した結果、適切な判断が出来なくなっていった人たち」です。
- 周りから見ると仕事が出来ているのに「自分は仕事が出来ない。迷惑を掛けるので退職する」といって退職。
- どう見ても業務負荷が大きすぎるのに「自分の仕事が遅いことが問題だ。サービス残業してでも片付ける」と長時間労働で対処した結果、休職。
- 「しんどく感じるのは甘えだ」と根性論で突き進み、メンタル不調に陥った後に退職。
客観的に自分の状態を捉えて、適切に問題解決になるアクションを取らなければしんどい状態は改善しません。
それどころか、かえって自分を痛めつけるような行動を取ってしまい取り返しのつかない状態になってしまうことさえあります。
注意が必要な考え方
認知療法に使われる分類ですが次のような考え方があれば注意してみてください。
ちなみに仕事で潰れた時の私がかなりの頻度でやっていた考え方です。
全か無か思考
「0点か100点かしかない」という考え方です。
例えば「商談決着金額は達成出来たが、商談の決着率は未達だった」という場合に「商談の決着率が未達であれば営業の質が悪いので意味がない。自分には価値がない」と思い込むような考え方です。
世の中には0点から100点の間で点数がつけられるものの方が圧倒的に多いのですが、考え方が偏ると「白か黒か」でしか考えられなくなります。
完璧以外は許せなくないのに、全て完璧にすることは出来ないのでしんどくなってしまいます。
過度な一般化
少ない事柄だけですべてを結論つけようとする考え方です。
例えば転職の面接に落ちた時に「また落ちた。自分はもうどこにも転職出来ない」と結論づけてしまうようなイメージです。
現実は目の前の転職面接に落ちただけです。
相手側にも事情があったかもしれませんし、この先どこにも転職出来ないという結論には繋がりません。
このように考えると自分が繰り返し同じような状況になっているように感じてしまい、つらくなってしまいます。
選択的な抽象化
良くないことだけに注意を取られて、他の部分に目がいかなくなる考え方です。
例えば、社内の評価で9割は良い評価、1割は今後の課題を含めた悪い評価がされたとします。
客観的に見たら良い評価であるにもかかわらず、本人は「悪い評価がつくほど○○が出来ていない」と考えてしまいます。
良いことに目が向かず、常に悪い部分しか見えなくなるのでしんどくなりやすい考え方です。
マイナス化思考
良い出来事を無視した上で悪い出来事にすり替える考え方です。
仕事がうまくいっても「協力してくれた○○さんのおかげ」と考えた上で「○○さんの手を借りなければ自分は何も出来なかった。自分は仕事が出来ないんだ」と悪いように捉えたりするイメージです。
良いことがあっても悪いように捉えてしまうので、気持ちが救われるような機会が大きく減少します。
自分勝手な憶測
根拠のない自分の主観から勝手に結論づける考え方です。
例えば「課長に冷たくあしらわれた。自分が仕事が出来ないから愛想を尽かされた」と考えてしまうようなものです。
「課長に冷たくあしらわれた」のは個人の主観です。
実際は多忙で疲れていたのかもしれませんし、直後にある会議のことを考えていたのかもしれません。
目の前の出来事を主観だけで悲観的に捉えるだけではなく「課長に冷たくあしらわれた。自分が仕事が出来ないからだ愛想を尽かされた。だから自分はこの会社ではもうやっていけない」と飛躍して考えてしまうことにも繋がるので、かなりつらい考え方にもなります。
誇張と矮小化
悪いことや失敗、短所は大きく捉えて、良いことや成功、長所は小さく捉えるという考え方です。
例えば勤勉で知識の吸収を怠らず、経験と知識を武器に顧客と良好な関係を築けている。
しかし、明るく振る舞ったり飲み会で芸をしたりするこは苦手という営業マンがいたとします。
この手のタイプには「自分はコミュニケーション能力がなくて営業マン失格だ」と悩んでしまう人もいます。
このようなものも自分の長所や成功を軽く見て、出来ないことを大きく見てしまっている状態です。
人間には向き不向き、得意不得意が必ずあるのでどんなに良いところがあっても悪いところで自己評価をしてしまい、辛くなってしまう考え方です。
すべき思考
「〜すべきである」という基準を多用してしまう考え方です。
(例)
- 顧客満足のために営業マンは即レスすべきである。
- 毎日10件の営業件数をクリアすべきである。
- 営業の質は常に高く保つべきである。
何かをやる時に「〜であるべき」という基準を常に自分や他人に要求します。
自分が基準をクリアできなければ無力感や罪悪感を感じてしまいます。
他人が基準をクリアできなければ「なぜ、当たり前にやってくれないんだ」と憤りを感じるようになります。
仕事で出てくる要求事項は違う立場からなされていることが多く全てをクリア出来ないものもたくさんあります。
例えば「定時は常に顧客営業に充てるべき」
一方で「顧客からの問い合わせには即レスすべき」で「事務方の仕事にも気を配るべき」という指示で仕事をしていたとします。
これらの要望は営業・顧客・社内とそれぞれ違う立場からなされています。
営業しながら即レス。
自分が定時後に帰社すると既に帰っている事務方にも細かくコミュニケーションを取りながら気を配る。
など全てを両立させることが困難なものもよくあります。
「〜すべて」「〜であるべき」の考え方が強くなりすぎると無力感と罪悪感を感じる機会が増える上にハードワークになりやすいので、すぐに消耗してしまいます。
レッテル貼り
自分にマイナスのレッテルを貼りつけてしまう考え方です。
例えば「役立たず」とか「コミュ障」とか。
あるいは「お荷物」とか「出来損ない」とか。
このようなレッテルは使いやすいので他の歪んだ考え方を加速させます。
「こんなことが出来ないなんて自分は役立たずだ」
「自分がお荷物だからこんな結果しか出せないんだ」
と気軽に使えてしまうのでどんどんとマイナス方向に自分の考え方を引き摺り込んでいくことに繋がります。
個人化
自分に関係ないこと、自分の非が少ないことでもすべて自分の責任にしてしまう考え方です。
どんなことも巻き込んで「すべて自分のせいだ」と結論づけます。
例えば一言目が罵声で始まるような激しい製品クレーム電話に対して「このクレームが激しかったのは自分の顧客対応が悪かったからだ」と結論づけるようなイメージです。
今回の例ならばクレームの原因は製品にあって、対応した人の落ち度ではありません。
更に言えば電話の一言目から顧客は激怒していました。対応者が怒らせたわけではありません。
このように自分の落ち度と他人の落ち度や、関連する要因を切り分けずにすべて「自分の責任」と結論づけると罪悪感を感じやすくなります。
自己評価も下がり「自分が悪い」という考え方がクセになることもあります。
参考リンク
関連する内容がわかりやすく載っていたので参考までにリンクを置いておきます。
私は数冊の書籍も読みましたが「事例を知っている」というだけでも気づける範囲が広がるので、調べてみるのも良いことだと思います。
正常な思考力を取り戻そう。
ここまでに紹介した偏った考え方のことを「認知の歪み」といいます。
物事の捉え方が極端になり、不合理な方向に偏っていることを指します。
認知の歪みが強くある状態では現実を正確に認識することが出来ません。
常にネガティブなフィルターを通して認識して、マイナスの方向に向かって思考を巡らせるようになります。
結果的に日常の生活や仕事に支障が出るほどのストレスに繋がったり、適切に物事を評価して判断することが出来なくなります。
そのような状況ではどんなに頑張っても仕事のしんどさからは抜け出せません。
しかし、認知の歪みに自分から気がつくことは意外と難しかったりします。
本人には自覚がないからです。
だからこそ注意を払って、まずは自分の状態が正常なのかを確認して、考え方が偏っているのであれば正常な状態を取り戻していく必要があるのです。
仕事のしんどさから抜け出す始めの一歩です。
考え方には個性があります。
「Aの考え方は良くてBの考え方は悪い」ということではありません。
ただ「自分をしんどくしない」かつ「自分を良い方向に連れていく」ための考え方を身につけたほうが、平穏に生きていけるのではないかという話です。
私自身、自分の認知の歪みに気がつくまでに2年、対処出来るようになるまでに2年掛かっています。
きっかけがないとなかなか気がつけないことだからこそ、今回の記事が自分の考え方を見直すきっかけになれば嬉しく思います。
願わくば仕事のつらさでしんどい日々を送る人を減らすことに繋がればと思います。
では、また次回の記事でお会いしましょう。