生きているとよく「そんなことをしても意味がない」という批判に出合います。
そんなことを勉強しても意味がない。
必死に働いても意味がない。
そんなことにお金を使っても意味がない。
そんな本を読んでも意味がない。
使われ方は様々です。
では「意味がない」というのは、そもそもどのようなことでしょうか?
よく目にする言葉だからこそ、きちんと定義しておくことには「意味がある」のではないでしょうか。
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意味がない、とは?
「やっても意味がない」というような使われ方をする場合、「意味」という単語は「価値」と読み替えることができます。
要するに「やる意味がない」ということは「やる価値がない」ということになります。
では「価値がない」というのは、どのようなことを指すのでしょうか?
価値とは値打ちを示す概念です。
価値の有無は目的によって変わります。
目的という基準から見た時にプラスになると言えるのであれば「価値がある」と言えます。
「意味がある」と「価値がある」はおおよそ、文脈上は同じ意味で使われる言い回しです。
したがって、「意味があること」というのは「目的という基準から見てプラスに働くこと」と言い換えることが出来ます。
意味があるか、ないかを決めるのは基準たる「目的」が何か、ということです。
発言者の基準は何だ?
ものごとについて意味の有無を議論する時に大切なことは、意味の有無を「同じ基準を敷いて議論できているか」という点です。
例えば「自己啓発書を読む意味はあるか?」という議論をしたとします。
ある人は、自己啓発書を読むことで気分が高まり、やる気が出る。だから自己啓発書を読むことには意味がある、と、論じます。
そして、また別の人は、自己啓発書を読んでも、現実が変わるわけでもない。何か新しい知恵を得られるわけでもなく、技能を習得出来るわけでもない。だから自己啓発書を読むことにに意味はない、と論じます。
議論の対象は「自己啓発書を読むという行為」という共通した事柄ではありますが、「意味の有無=価値の有無」を判断するための基準がそれぞれに異なっています。
ひとりは「気分の高揚」のような感情の揺らぎを価値に含めています。
また、あるひとりは「技能や知識の習得」を意味のあるなしを判断する基準にしています。
今回のように、議論の対象は同じであっても、判断の基準が共有されていない、という場面は多くあります。
そして、互いの意見は平行線をたどり、互いに自己の正当性を主張します。
互いに意見を発する相手が「何を基準にしているか」ということを理解しない限り、確かな議論は出来ません。
そして、簡単に見える割に「何について、どのような基準で議論しているか」という認識を揃えることには難儀します。
SNSで炎上している投稿を見たら一目瞭然です。
各々が全く違う視点と論点で、相手を叩いています。
意味があること、とは。
「意味がある」という言葉を使う時に気をつけるべきは、「意味の有無を決める基準が何か」を理解することです。
自分の行いには意味がない。
自分の存在には意味がない。
自分が好きなことには意味がない。
生きていると自分自身に「意味がない」という言葉を向けてしまうことがあります。
また、誰かに対しても「意味がない」という言葉を不用意に放ってしまうことがあります。
「意味がない」とはなんでしょうか?
「価値がない」とはなんでしょうか?
極論、全てのことには意味があり、価値があります。
極論、全てのことには意味がなく、価値はありません。
「意味がある」も「意味がない」も、視点ひとつで変わります。
だからこそ、他人と理解し合うことが難しいのです。
もし、次に「意味がない」という言葉を使おうとした時は考えてみてください。
自分は何を基準に「意味がない」と言おうとしているのか、を。
そして、その基準は相手の立場からも成り立っている基準なのか、を。
いつもとは違う世界が見えるかもしれません。