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メンタルの弱さに意味を見出す。自分に自信のない人に伝えたい話。

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どうも、うさみしんごです。

自信、ありますか?

私?
自己評価なんざボロボロですけど?

 

「自己肯定感を上げよう!」なんていう自己啓発も増えましたが、それどころではありません。

 

ことあるごとに

「自分が間違っている」

「自分だけができていない」

「自分は役立たず」

「きっと嫌われる」

 

とか考えまくって生きてきました。

 

 

で、ここ数年は自己否定の回数と同じだけ対策をしてきました。

 

対策をする中で分かってきたことがあります。

すぐに自己否定をしてしまうような、自信のなさに悩む人ほど伝えたい内容です。

今回、頑張ってまとめるのでメンタル弱い人には読んでもらいたいです。

現時点での集大成




そのつらさには意味がある。

メンタルが弱くてしんどい思いをした時に、こんなことを考えたことはありませんか?

 

「なんで私はこんなにつらくなるのだろう」
「なんで私はこんなにメンタルが弱いのだろう」

 

そう。
何故かつらくなるんですよ。
何故かメンタルが弱いんですよ。

もし、生きていくためにはメンタルが強くてつらくならない方が有利ならば、メンタルが弱い人は淘汰されていきそうなのに、何故か生き残っているんですよ。

 

不思議なことに、メンタル弱い因子が滅んでいないんですよ。

あれ?
もしたしたら、メンタルが弱いことにも意味があったりするのでは?

 

そうなんです。
調べてみたら、意味があるみたいなんです。

辛さを使いこなす。

自分のつらさに意味があるのなら、より意味のある形で使ってあげればいいんです。

 

意味があって生まれる感覚なら有効活用できた方がいいじゃないですか。

これだけつらい思いをさせられるなら、大いに利用できた方が良いじゃないですか。

 

ということでつらさを使いこなすために解説していきます。

不安や怖さが止まらない。

心配がちで不安に押しつぶされそうになる。
すぐにしんどくなる。

 

そんなつらさにメリットなんてあるんでしょうか?

 

 

あるんです。

不安というのは自分に迫る危機に対するアラームです。

 

 

特に優れているのは「危険そう」という雰囲気で発動することです。

 

例えば、目の前に津波が迫って、具体的に見える状態になってから「危ない!」と感じたところで手遅れです。

 

逃げられません。

 

 

それが「危なそう」という、実際の危機に出会うより前に身体が反応することで危機を回避出来る可能性が広がります。

 

 

危なければ近づかない。
まずいことになりそうだから先周りをして、リスクを刈り取る。
デカい損害が出る前に食い止める。

 

こういう「危機を未然に防ぐ」という動きは、危険が具体化する前からやらないと実現出来ません。

 

 

不安や怖さを感じる。

だから、危機に出会う前に対処する機会を得ることができる。

 

 

そういう意味で不安や心配には大きな意味があります。

 

 

むしろ、能天気に猛獣のいる森に突っ込んでいったようなやつは生き残れていません。

人間関係がつらい。

人間関係がつらい。
仲間はずれが怖い。
認めてもらえないのが怖い。
嫌われることが怖い。
下に見られることが嫌だ。

人間関係ってなんでこんなにつらいんでしょう?

 

 

人と繋がってないと生きていけないからです。

 

人間は集団を作って役割分担をすることで生きている社会性の生き物です。

集団で生きていく前提の生き物が集団からはぐれたら死に直結します。

 

 

生きていけません。

 

 

だからこそ、人間関係で下手を打つ前にアラームが鳴ってしんどくなります。

 

空気読めなくなって孤立する人、いるじゃないですか。

現代社会でもなければ、程度の強い空気読めないマンは生きていくのに支障が出ます。

 

 

集団社会で生きていけるように、他人との不和を許容範囲に収めるために人間関係におそれを感じるわけです。

現代社会で鈍感力とやらが有効な理由。

と、言いながらも現代社会ではメンタルは強くあった方がいいとされています。

鈍感力という言葉が流行ったりもしましたが、ある程度鈍感な方が都合が良いとされています。

 

何故でしょう?

もはや命を失うような危険は少ないからです。

 

大昔、人間の祖先まで遡れば出会ってしまえば一発アウトな猛獣や触れてしまえば一発アウトな毒物みたいなものが身の回りにありました。

 

ハブられる、という孤立も今の社会とは比べ物にならないくらい命の危機につながる状況でした。

 

比べると現代社会はどうでしょう?

少なくとも「出会ったら即死」というようなものはほとんどありません。

文明の力で、ある程度は命の保証がされている。
そして、近代的な社会福祉によって命の危機につながるレベルで社会から孤立することもかなりの少数になりました。

 

大昔は出会ったら即死級の危険が身近にあったので、危険に近づかないことが生き残り戦略でした。

 

 

今は出会っても即死する危険は社会の力によって取り除かれているので、どれだけリスクを取って力を獲得できるか、というルールに世の中が変わっています。

 

本能的なアラームが鳴るような状況で、リスクを取っていくためには鈍感さが生きてきます。

 

自然界なら死んでしまうような危険の取り方でも、人間社会なら問題なく取れるからこそ、鈍感力が生きてきます。

身の回りから不安やおそれというアラームを使ってでも逃げなければならない事象が減ったからこそ、現代社会では鈍感力が有効なのです。

どうする、メンタル弱い人。

現代社会では鈍感力とやらがある、メンタルの強い人が有利だとすればメンタルが弱い人はどうしたら良いのでしょう?

来世に期待する?

 

いや、やりようはあるんです。

 

メンタル弱いことをプラスに働くように使ってあげれば良いのです。

 

メンタルの弱さや繊細さはアラームの感度です。
鈍感な人なら危機を感じない水準でも危機感を感じます。

 

 

要するに、日常生活で自分に迫る危機を感じる頻度が多くなるのです。

その度に対策行動が取れると、鈍感な人に比べて改善出来るポイントがかなり増えます。

 

メンタルが弱い人は、しんどく感じたら動く、という癖をつけると前に進みやすくなります。

 

そのためには、しんどさは危機察知のアラームだ、ということを認識しておくことが必要です。

そして、しんどさを感じた時に取れる対策行動のパターンや対策行動を考えるための分析的な思考法をいくつか身につけておくことが重要です。

 

 

いわゆるIf thenルールなんかも使えるね!




私は実証中


私はメンタルがとても弱いです。

言いきっちゃいます。

対人関係でも、仕事でも簡単にストレスフルな状態になります。
プレッシャーにも弱く、すぐに萎縮します。

周りと比べても明らかな程にストレス耐性は高くないです。

 

しかし、悲しいことに「メンタル強くしなくちゃ!」と言ったところでメンタル強くならないんですよ。

今まで散々、あれこれやってきました。

 

性格要因によっても異なりますが、そもそも性格の半分くらいは遺伝で残りの割合のうち結構な割合が生育環境です。

 

大人になってから変えられないことはたくさんあります。

 

そんな中で変えられることからアプローチするためにはメンタルの弱さに使い道を見出して、メンタルが弱い自分を認めてやることが第一歩な気がします。

 

 

生活の中で実践していますが、メンタルが弱かったからこそ潰れる前に転職が出来ました。

メンタルが弱かったからこそ、不安を感じた段階から当時の仕事で実績を作ってキャリアアップにも繋げられました。

 

もっと遡れば、元々偏差値30台の高校で将来に危機感を感じたからこそ、ギリギリのところで軌道修正が出来ました。

 

例を挙げ出すとキリがないのですが、メンタルの弱さは活動のトリガーとして使えると有用なところがかなりあります。

 

 

社会的には不利なところが目立つ性格だからこそ、せめて自分では少しでも有利になるように使ってやるべきなんじゃないかな、と思います。

 

 

現代社会だと不利だと言われる性格や特性もヒトという生き物の在り方やこれまでの生存戦略から考えると結構、意味のあるものばかりです。

 

 

自己否定した後でいいので調べてみると良いかと思います。

ではー。