雑記

低偏差値高校卒が学校教育の存在意義から考える勉強しないといけない理由。

どうも、うさみしんごです。

こんな問いかけを耳にしたことはありませんか?

「どうして勉強しないといけないの?」
「どうして学校にいかないといけないの?」

 

小さな子供が親に向かって問いかけてくるような場面設定で問いかけてくる、あの質問です。

親は一瞬困った顔をして、頭をポリポリとかいてから「それは君のためなんだよ」と当たり障りのない答えを返す、あの質問です。

 

「どうして学校で勉強しないといけないか?」

この問いについては結構思うところがあります。

何故なら私が地元でバカ高校と呼ばれるような高校を出てから散々苦労してきたからです。

 

高3で分数の計算が怪しいヤツや、be動詞もわかってないヤツが通う高校の出なんですよ、私。

 

というわけで、実際に学校で勉強をしてこなかったやつが思い知らされた体験をもとにして「なぜ学校で勉強しなければならないか?」について答えてみようと思います。



結論、君のためではない。

学校で勉強をしなければならない理由は、日本人の教養レベルを一定以上に保つためです。

 

社会を円滑に運営するだけではなく、次の世代を担う人間を発掘するための制度が学校教育です。

 

世の中みんな好き勝手に振る舞う脳内お花畑ピーポーばかりだと、社会が機能しません。

 

当然、国を発展させるどころか維持することさえ難しくなります。

 

 

だから、国家運営のために必要な水準、あるいは好ましい水準で国民を教育するのです。

 

ドライな言い方になりますが、学校で勉強することに疑問を抱く一個人のために学校教育があるわけではないのです。

 

 

大勢がきちんと学び、社会を回してくれるのならば「勉強なんてしたくない」とのたまう個人は勉強する必要なんてないんです。

勉強しないとどうなるか?

そう、マクロな視点で言えばひとりふたりくらいは勉強しなくても全然構わないんですよ。

 

他の皆の力で社会がきちんと回るのなら、学校に通わない人がいようと構わないんですよ。

 

 

では、勉強をしなかった個人はどうなるのでしょう?

当たり前ですが、置いて行かれて生きづらい状態になります。

 

国は国民を一定水準までは教育しようとします。
社会の中で役割をもって、世の中を円滑に回してもらうためです。

 

学校教育は社会の中で役割を持って生きていくために必要な教養を身につけさせる場なのです。

 

その学校教育を投げ出せば「社会の中で居場所を見つけ、役割を担うための前提条件たる教養がない」という事態に陥るリスクが生まれます。

 

 

周りが当たり前のように知っていることを知らない。
周りが当たり前のように理解できることが理解できない。
周りは当たり前のように想定できることが想定できない。

 

社会生活の前提とされている諸条件を持たずに生きていくということになります。

 

どのレベルからやらなかったかによって程度の差はあれ「然るべきタイミングで勉強しない」とはそういうことです。

 

残酷な話、ひとりやふたりいなくても日本という国はまったく問題なく回ります。

 

そんな人は切り捨てて、置き去りにすれば良いだけの話です。

勉強しなくても生きていける?

「でも、勉強しなくても生きていけてる人っているよ?」という人もいるかもしれません。

 

その勉強しなくても生きていけてる人、とはだれですか?

芸能人?
スポーツ選手?
YouTuber?
アーティスト?

 

確かに、勉強しなくても人並み以上に豊かに暮らしている人というのは存在します。

 

 

でも、その人たちは普通とは違う生き方で生きていけているというだけなんですよ。

 

一般人よりも華があるから。
一般人よりもエキサイティングな動きができるから。

とかね。

 

「少なくとも社会を回すためにあくせく働く良き一般人」ではないのですよ。

 

 

役割が違うからこそ、大多数の人が求められる普通の水準を持っていなくても生きていけるわけです。

 

違うポイントで勝負しているんだもの。

自分が特別で、知的レベルが一般人よりも低くても問題ない、と思うならそのようにすればいいと思います。

世の中って残酷よ?

はい。
というわけでドライな感じでまとめてみました。

 

でも、実際に世の中って残酷ですよ?

出来ない人、持たざる者には容赦がないです。

 

 

「私、熱意はあるのでここで働かせてください!文字は読めません!」と面接で言ったら容赦なく切られます。

「子供にはしっかりと大学で勉強させたいんです!お金はないし返せません!」と言ったら選択肢はかなり限られます。

 

 

実際にかなりマズイレベルで勉強してこなかった知人友人はそれなりに残念な進路を歩んでいます。

 

 

うまいことやっている人もいますが。

 

それでも普通科高校を出て、それなりの大学を出て、就職して、という人とは全く違う生き方になります。

 

 

住む世界も常識も違ってきます。

世の中ってどストレートに残酷です。



一個人が学校で勉強する意味。


最後にまとめです。

 

学校教育は集団の知的水準を一定以上にするためにあります。

 

集団の中の多数が目的のレベルに到達するのなら、一部が脱落しようが切り捨てることもできます。

 

切り捨てられた側は周りと同じような方法では社会に参加出来なくなります。

 

だから振り落とされないために、然るべきタイミングでは勉強をすべきなのです。

 

 

社会から見たらひとりを振り落として置き去りにしても問題がない。
だからこそ、自分の力で置き去りにされないようにしなければならないのです。

 

結局は自分のために勉強するんです。

 

というわけで、今回の内容でした。

これまで世の中の足切りラインを感じるような生き方をしてきました。

 

自慢じゃないけど、偏差値30台の高校を小学生レベルの算数ができないまま高校卒業しています。

 

紆余曲折あって今は旧帝大や早慶、院卒が同僚になるような職場にいます。

途中で要所要所にめちゃくちゃ勉強しました。

 

だからこそピンからキリまで見てこれたともおもいます。

 

どのタイミングでどのレベルの勉強をしてきたかで後々にどれだけの差ができるかは普通の人よりは知っているつもりです。

 

 

知人の範囲が田舎の高校中退ヤンキーから、都内中高一貫校卒の東大卒まで幅広いので残酷なまでにあれこれ違いが見えているつもりではあります。

 

自分自身も痛い目見たからこそ、「学校で勉強するのは何故か?」という問いにはあれこれ言いたかったのです。

 

スッキリしたので、今日はこれくらいにしておきます。