どうも、うさみしんごです。
今回の記事は「仕事がうまくいかずに自分のことを無能、役立たずと感じてつらくなっている人」に向けた記事です。
私が適応障害になってから復活するまでの5年間をまとめてみました。
1社目の会社で仕事のストレスに耐えられずに休職。
その後、退職して田舎で2年間過ごしてやっと復活しました。
復活するまでにやったことや、つらさとの向き合い方など具体的な対策は個別にまとめていきます。
ただ、どんな状況からスタートしたのかイメージ出来た方が良いと思うので、前提として「こんな状況から復活したよ」という、全体の流れもまとめてみました。
Contents
自己紹介
1990年生まれ、田舎で生まれ育った長男です。
コミュニケーションは昔から得意ではなかったので、学生時代から存在感の薄いタイプでした。
大学から都会に出てきて、新卒で専門商社の営業職に就職。
その後、1社目の会社で適応障害になり休職、退職。
2社目は地元に帰って同業に転職。
その後、試行錯誤しながら2年で立ち直って嫁ターン転職として1社目の頃に働いていたエリアに帰ってきました。
コミュニケーションが苦手で内気な割に、ずっと営業を続けています。
これまでの経歴とやったこと
ここからは「適応障害」「休職」「退職」「Uターン」「復活」と、やってきた中で「ターニングポイントになった出来事」を少し詳しくお話していきます。
1社目のお話
1社目は、おおまかにまとめるとこんな感じです。
- 入社後の配属は大当たり。
- 異動後に環境が変わる。
- 異動後1年で適応障害。
- 異動後3年で退職(休職から復帰して1年半後に退職)。
順調にやっていけていたとしても、環境が変われば状況は簡単に変わります。
「専門商社の営業」というコミュ障には、向いていなさそうな仕事に就きましたが入社して数年間は順調にはたくことが出来ていました。
最初の配属で「コイツはメンタルが弱そうだ」という話があり、特に過ごしやすい部署へ配属となったことが大きかったと思います。
仕事に慣れてきて異動となったことをきっかけに、仕事がつらくなってきました。
提案営業を叩き込まれながら頑張る
振り返ってみると仕事がしんどくなる前から、結構な量と内容で仕事を叩きこまれているような気がします。
人間は仕事の内容は変わらなくても、仕事の環境が変わっただけで潰れるまでしんどくなるのかもしれません。
仕事の内容は工業製品のルート営業と新規開拓営業でしたが、こんなことをやっていました。
- 提案型のコンサルティング営業
- 実機を使ったデモ提案&テスティング
- 社内ロープレ
- 外出報告
- 1日5面談以上の活動目標
- 電話営業1日40件(発信で100件超え)
キーエンスをベンチマークした活動内容になっていましたね。
キーエンス本で出てくるやり方をかなり取り入れていた会社でした。
22時くらいまで仕事をしていることも多く、しんどそうなこともやりながら営業を叩きこまれていたと思います。
それでも周りに恵まれていたので、異動前は全く苦にならず、仕事が楽しくて仕方がない時期が続いていました。
たぶんしんどい仕事でも、周りから認められていて、自分でも伸びている実感がある間はメンタルもしんどくならないんだと思います。
異動後、ストレスで適応障害に。
入社してしばらくは、周りの人にも、お客にも恵まれて楽しく仕事が出来ていました。
ただ、仕事に慣れてきた頃に異動となってから状況が一変します。
異動後、半年頃からおかしくなり始めました。
1年経つ頃には不安と焦りで常にパニック状態、抑うつ状態もあり休職するところまで進行していきます。
【主な変化】
異動前後の変化をまとめると、こんな感じです。
- 出来なかった理由を詰めて、矯正する指導になった。
- 出来ていないことは会議の場で指導されるようになった。
- 上司のタイプ。
- 仕事のやり方。
一定期間が経って新人ではなくなったことで変わったこともあると思いますが、上司からの指導が「出来ないことを詰めて、矯正する」というやり方に変わりました。
「訪問件数が足りない」
「商談件数が足りない」
「客との関係が作れない」
「仕事の進め方が悪い。遅い」
「理解が悪い」
「客を待たせている」
「表情がない」
「話し方が暗い」
そして、そこから
「何で出来ない?」
「何が出来ない?」
「どうして出来ない?」
「他の人は出来ている。違いはなんだ?」
「頑張って何とかしようと思わないのか?」
「先週も同じことを言ったのに、何故直せない?」
「毎回、言わせるな。何故まだ、出来ていないのか?」
みたいな話をされることが増えました。
会議の場でも、自分の報告の回だけ時間が長くなり、「出来ていない事。もっとこうすれば良かった事」をメンバー全員の前で指導されるような状況になっていきます。
「悪いところを直していく。そのために部下を指導する」というのは必要なことだとは思います。
ただ、半年も経たないうちに「自分は何も出来ない。何をやっても人よりも出来ないんだ」と自己否定することがどんどんと増えていきました。
【「自分には出来ない」をやらないといけないつらさ】
この頃、特にしんどかったことが「自分には出来ない事」をやらなければならない状況でした。
具体的には「コミュニケーション」です。
新しい上司がゴリゴリの関西人でした。
担当したエリアも人懐っこく、人の懐に入る事が上手い営業マンが歴代担当していたエリアです。
上司が昔担当していたエリアでもあるので、同行すれば
「社長!まいど!調子はどうでっか!」
「昨日の阪神あかんかったねー!」
「おっ!〇〇さんや!ちょっとこっち来て!」
みたいな営業をアポ無しで始めるようなイメージです。
内気な性格で、ぐいぐいといけない私には、このやり方が全く出来ませんでした。
上司同行と自分の単独訪問の時では、顧客からの雰囲気も全く違います。
繰り返すうちに「自分の性格や話し方、キャラクターが悪い。何とかしないと」と悩むようになりました。
ただ、何をやっても「人の懐に入る営業」が出来なかったんです。
どうしても、自分のキャラクターを変えることも作ることも出来ませんでした。
最終的には「自分は顧客との関係を悪化させる。いない方がマシ。客にも会社にも求められていない」と思い詰めるようになって営業活動の件数も減っていきました。
営業件数未達となるので、先程お話したような「未達を出来ない理由から矯正する指導」が入ることになります。
それでも改善が出来ないので、更に「自分は出来ない奴だ」と思い詰めていくループに陥っていきました。
最後は家庭の事情も重なりましたが、どうにもならなくなってしまって心療内科を受診。
その後、休職を申し出ることになりました。
2ヶ月間休職
上司に言い出すことが出来ずに休職を申し出るまでにも3ヶ月くらい掛かりました。
「休職して仕事から離れられたら気持ちもラクになる」と思っていましたが、残念ながら私の場合はそんなこともありませんでした。
【休職中もしんどかった理由】
休職で減ってしまった収入を前にして
「どうしよう。お金がない。もう生きていけない」
「休職が長引いたらもう、キャリアが終わる。そしたら今の会社にもいられない。生きていけない」
と焦るようになったからです。
仕事から離れて休むことが目的だったのに、仕事から離れて休んでいること自体がストレスになっていました。
休職中も落ち着かず、何もしないでいることがどんどん苦しくなっていきます。
休職中ということを伏せて、転職活動もしました。
内定も出ましたが「隠していた休職がバレたらきっとクビになる。だから、内定は受けるべきではない」とパニックになって辞退してしまいました。
日に日に「早く復帰しなければ」という焦りは強くなります。
結局、受け答えだけ取り繕って2ヶ月で休職から復帰しました。
結局、退職して田舎に帰る
復帰後1年くらいは頑張ったものの、結局1社目の仕事は退職することになりました。
最後の方は
- 自分は出来損ないだ。
- そんな自分を雇ってくれる会社は他ない。
- それなのに今の会社の仕事にはついていけない。
- 働かなければ収入がなくなる。
- 無能で役立たずで働けない自分は生きていけない。
- どこにいても生きていけない。
- もう死ぬしかない。
みたいなことをぐるぐると考え続けるようになっていました。
最後の最後で「もうこれ以上は頑張れない。もういいや、生きていけない」と考えて仕事を辞めました。
張り詰めていた何かがプツン、と切れたように「もうダメだ。頑張れない」と吹っ切れたんですよ。
そんな流れで仕事を辞めました。
今思うとかなり危ない方向に吹っ切れていましたが、知人のおかげで地元に帰るという形で踏む留まることが出来ました。
退職前には延期を重ねてようやく予約していた新婚旅行も「出来損ないで迷惑しかかけないのに仕事を休んでいいわかがない」と言い出して、妻とは大喧嘩の末にキャンセル料を払ってキャンセルしました。
退職交渉では有給をほとんど捨ててボーナス支給前の退職になるような調整をされて辞めています。
「ああ、この会社にとって自分って、そんな感じの存在だったんだな」と感じたのを今でも覚えています。
生活が成り立たないくらいボロボロになってでも「会社に迷惑を掛けないように頑張ってきたこと」が馬鹿みたいに思えて、ある意味ここで気持ちに区切りがついたと思います。
2ヶ月の無職期間
仮病と嘘で有休を取って1社目在職中に転職先は決めていました。
ただ、1社目退職後は転職先の入社日を調整して2か月間の空白期間を作りました。
完全に仕事から離れて、何もしないでいるだけの期間です。
収入もなく、国民年金の支払いもあり貯金はだいぶ溶かしましたが1社目で休職していた時よりも何倍も気がラクになりました。
「ああ、もうあの上司たちと会わなくていいんだ」
「仕事で詰められなくてもいいんだ」
と、いう感じで少しだけ気持ちに余裕が出来たんです。
仕事をしていないので、恐ろしい速さで貯金が無くなっていくのに1社目で感じた「もう終わりだ。生きていけない」という感覚が薄くなっていきました。
どんなに人間関係が上手くいかなくても退職すれば関係はなくなります。
退職した人を追いかけてなんて来ません。
今思うと、ここがはっきりとしたターニングポイントだったと思います。
2社目も同業の営業職に
転職先は地元の企業でしたが、1社目と同業の専門商社で、またしても営業職でした。
実家から車で30分くらいのところに賃貸を借りて妻と子供を連れて引っ越しました。
その時は妻と妻実家を巻き込んで大喧嘩もしています。
妻には悪いことをしましたが、地元に逃げ帰る以外は何も考えられない状態になっていました。
仕事の中身はやや違ったものの、1社目で詰め込まれたことが使える仕事だったので苦もなく働き始めることが出来ました。
自分の得意な提案型の営業で仕事も出来て、入社早々に成果を出せたりもしました。
今でもパワハラ気質な会社だったと思いますが、何故か1社目のようにつらくなることがなかったんですよ。
残業代も出ないし、労基も入る会社だったのに全然つらくならなかったんです。
気持ちを整理する時間を作り始めた
転職してから2ヶ月くらい経ってからだと思いますが、少しずつ自分の気持ちを整理すること時間を作るようになりました。
きっかけはメンタル改善に効果があると言われて始めた日記です。
日記帳に書き出しながら考えていると、ふと思ったんです。
「本当に自分は世の中の最底辺なんだろうか?」
「本当に自分は周りの人間に全ての面で劣っている役立たずなんだろうか?」
「本当に周りの人間は何事も問題を起こさず、求められるように仕事を遂行できる人間だったんだろうか?」
と。
考えてみると自分よりも大きなハンデを背負った人でも生きています。
「何も出来ない」と言いながらも、転職も出来てるし営業で仕事も取ってきていました。
よく見れば周りの人間だって苦手なところではミスをしています。
どれも当たり前なことなんですが、1社目のストレスから離れて半年近く経ってようやく気がついたんですよ。
「世の中の人ってもしかしたら自分と大差ないんじゃないか」と。
得意なこともあるけど、当然苦手なこともある。
出来る時もあれば、出来ない時もある。
ただ、苦手なことを得意なことや、そこそこ出来ることで補っていただけだったのではないだろうか。
そんなふうに思うようになりました。
気持ちを整理しながら頭が働くようになってきてからは「自分にも出来るようにやってみよう」と考えるようになっていきました。
仕事のやり方を見直し始めた
気持ちに余裕が出来てからはメンタルケアと並行して、自分なりに仕事のやり方を見直し始めました。
仕事が遅い。
何が遅い?何故遅い?どんな状態手間遅くなる?
と、ひとつずつ掘り起こして試行錯誤しながら対策をしました。
コミュニケーションが苦手。
どんな状況が苦手?どんな相手が苦手?どんな相手が苦手?
自分でも苦にならない話題は?自分が得意なシチュエーションは?
と、自分に出来ることと出来ないことをひとつずつ切り分けていきました。
試行錯誤しながら作ってきた仕事術や営業術は改めて記事にしていきますが、1年半くらいかけて着実に仕事の能力を上げることもできました。
無理はせずに割り切るようになった
メンタルと仕事で対策が進むと、ものごとの捉え方にも余裕ができ始めます。
そうすると目の前の状況を割り切れるようになってきます。
今までは
「出来ないではなくやる」
「無理は甘え」
「出来るまでやらない自分が悪い」
と、完全に根性論で生きてましたが、やっと割り切れるようになったんですよ。
「無理なものは無理」
「なら、この状況で何をすべきか?」
「出来ないなりに、何が出来るのか?」
こんなふうに考えるようになりました。
今でも仕事は早くありません。
プレッシャーにも弱いです。
すぐにテンパります。
それでも「自分はそういうやつだし、どうにもならない部分もあるんだ」と割り切って受け入れらるようにもなりました。
「出来ないなりにどうするか」を考え始めた
出来ない自分を受け入れられると、かなり状況が好転していきました。
それまでは「出来ない自分はダメ。だから出来るようにならないといけない」としか考えられなかったので「自分にとっては出来ないこと」ばかりを追いかけていました。
「自分に出来ないこと」を追いかけても結局、いつまでも出来ないままで状況も変わりません。
しかし、「出来ない自分」が受け入れられるようになると、自分ができることから問題にアプローチしようとするようになってきます。
この「出来ることを着実に積み重ねて問題を解決していく」というやり方がクセになったのは非常に大きいことでした。
自分が出来ないことも受け入れて「それを前提にどうするか?」という考え方がクセになりました。
約2年で復活、ステップアップで3社目に転職
というわけで、1社目をズタボロで退職してから約2年で復活することが出来ました。
田舎で2年を過ごした後に転職活動をして、ステップアップの転職も出来ました。
「逃げの転職はしてはいけない」と言われることもあります。
ただ、後ろ向きな理由で転職したことがある立場で言うと
- 「身を守る」の転職
- 「立て直し」のための転職
- 「選択をし直す」ための転職
になるのであれば、やっていいと思います。
事業と同じで、成果の出ないもの・危ないものは早めに損切りしてリスタートする、というのと同じ事ではないでしょうか。
安易に「逃げの転職」を進める気もありませんが「後ろ向きな転職で即キャリアが終わる」なんて極端なことも無いと思っています。
私は上手くいった方だと思っていますが、紆余曲折あっての今が一番待遇も企業のブランド力もある会社で働けているので、特にそう感じます。
内向型な心配性の強み
「相手に言いたいことが言えない」「自分を責めてしまう」「心配性」「言われたことを気にする」「相手の些細な態度や言葉に傷ついてしまう」
こんな内向的で心配性な特徴も使い方によっては十分強みになります。
というか、私はこの特徴を使って営業で食べています。
「心配性」で「相手に言いたいことが言えない」 だから、事前に相手のことを調べて、面談は徹底的に準備する。
「自分を責めてしまう」 だから、まず自分の行動・言動から内省する。
「言われたことを気にする」 だから、誰よりも丁寧に。自分が使われて嫌な態度はとらない。
「相手の些細な態度や言葉に傷ついてしまう」 だから、面談中の言葉や表情の変化に気が付いて相手に切り込んでいける。
1社目の会社では全て「矯正しなかればならないマイナスポイント」だったものが、今の仕事では武器になって評価されています。
テクニックでカバーできることと組み合わせれば「内向的なコミュ障」という性格も武器になります。
いまだに悩むけど、マシにはなる。
「適応障害から復活した」と言っても正直なことろ、人間としての根本は変わっていないので、いまだにしんどくなるくらい悩むことも多かったりします。
考え過ぎで仕事も遅いです。
やることが溢れかえっていると簡単にパニックになります。
ちょっとしたことで「自分は出来ないやつだ、無能だ」と沈んでいきます。
飲み会だって苦手ですし、大きな声では喋れません。
ただ、昔のように自分のことを否定し続けるようなことはなくなりました。
もっと酷い状態の時に作ってきたやり方があるので、多少取り乱したところで自分で気持ちを抑えることも出来ます。
しんどさはゼロにはなりませんでした。
悩みもするし、不安にも襲われます。
でも、それはそれとして、どうとでも対処が出来るようにはなったと思います。
昔と比べたらすごくラクにはなっています。
自分がおかしくなってから復活するまでに5年もかかりました。
それでも、きちんとやることをやっていれば、なんとかなるしんどさも多くあります。
この記事は「無能&役立たずのやり方シリーズ」という企画で書いています。
立ち直るまでの5年間でやってきたことは惜しまずまとめていこうと思います。