子供の教育について調べ物をしている中で興味深い話を見つけました。
「地方と都会の間の意識の格差が学力や学歴に影響する」という話です。
例えばこんなお話です。
他にもいくつか近しい話がありました。
掻い摘んで説明をすると都会と地方では「当たり前」とされている環境が違う、というお話です。
有名大学や神学校が集まる都会では、大学進学を当たり前のものと考えて早くから準備をするので、学力や学歴が伸びやすい。
一方で地方では高卒就職や地元大学への進学が「当たり前」とされているので、都会の有名大学に進むような進路が意識出来ずに、学力や学歴が伸びていかない。
このようなお話です。
私自身、地方の非進学校の出身で思うところがいろいろとあるので、自分の過去を振り返りながら「地方の進学に対する意識」についてまとめてみようと思います。
そもそも選択肢が見えていない。
「地方の学生がすべてそうだ」というつもりはありませんが、環境によってはそもそも大学進学という選択肢が意識の中にない層も多いのではないかと思います。
何故なら、周りに大学に行った人がいないから。
身近なところに有名な大学がないから。
子供の頃の大人のイメージは身の回りの大人の姿になります。
その周りの大人達に大卒者がいなければ、当然ながら大学という存在をきちんと意識できません。
更に言えば周りの大人達も大学に進学させる方法をまともに知りませんし、小さい頃から子供に大学進学を意識させることもできません。
過去の私を例に出せば、身の回りの大人の仕事と学歴はこんな感じです。
- 工場ライン工(父母、友達の親) 高卒
- 配管工(おじ)高卒
- 農家(おじ)高卒
- 農協職員(近所の人)高卒
- 事務員(近所の人)高卒
- 行きつけの理容室のおばさん 専門卒
知っている範囲で書いているので、学歴まで知らない人もたくさんいますが大学のことは話題にも上がらないような環境でした。
高校を卒業したら地元の企業で働く。
それで周りの大人と同じように十分生きていける。
それ以上のことは考えなかったので、大学進学なんて考えたこともありませんでした。
大学進学する人はいないの?
きちんと勉強して大学進学する友達もいました。
ただ、振り返って見ると家庭に大卒者がいる率が高いように思います。
例えば、学年で1人だけいた大学の附属中学に進んだ友達は親が教師でした。
地元で1番の進学校に進んだ友人も7、8人いましたが、そのうちの5人は祖父母までに先生をやっている親族がいました。
あと1人は親が薬剤師だったかな?
それ以外は分かりません。
結局、振り返ってみるとしっかりと勉強をして進学先を選んでいる人の多くは身近なところに大卒者がいたように思います。
みんな地元にいる。
身近なところに大卒者がいると進学校へ進む人も出てくる、と言いましたが大体は地元の国公立に進みます。
先程、例に出した地元1番の進学校に進学した友人の中で県外の大学に進んだのは2人だけです。
1人が法政で、1人が神田外国語大だったかな?
あとは全員地元の国公立です。
ついでに言えば中学の同級生35人の内、30歳になった今も県外にいるのは3人だけです。
紆余曲折あって、みんな地元にいます。
それが良いとも、悪いとも言う気はありませんが少なくとも勉学の機会を求める意識には差があったと言っても良いのではないのでしょうか?
地元一番の進学校にもなれば毎年、早慶、MARCHに旧帝大への進学者も出ます。
ただ、都会に出て来た感覚からすると、もっと上の大学に行けた層もかなり地元の大学に流れているような気がします。
大学を卒業した後は都会や海外勤務のある仕事ではなく、地元を中心に働いている人が知人には多くいます。
そうして頭の良いご家庭でも地元を離れず、同じような流れで子供の意識が醸成されていくのかもしれません。
ハードルが多い。
仮に地元を出て、都会の大学に進学しようと思った時も多くのハードルがあります。
まず、お金。
家賃6万円の部屋を4年間借りるだけで280万円が必要になります。
都会に生まれて実家から通える学生にはかからない金額です。
更に生活費や教材費もかかります。
実家に帰省するときにもお金がかかります。
大学進学を考えたときに、学費以外の費用も合わせて考えて地元を出ることを諦める人もそれなりにいると思います。
そもそも、どれどけのお金が必要か試算もせずに「高くつきそうだから地元の大学にしよう」と決め切っている層もそれなりにいます。
イメージだけで踏み込む前に進路の選択肢から、大学進学を外してしまう層がいるのです。
結局、自分が選び取れそうな選択肢からしか選ばない。
同じレベルの学生が選び取れそうな選択肢にも都会と地方の大きな差がある。
結果として、同じレベルの学生ならば都会の学生の方が有名大学に進学しやすい。
そんな流れが出来上がっているのではないでしょうか?
選択肢が見える時期が遅い。
都会に出て来て感じたことが選択肢が見え始めるタイミングの違いです。
都会の方が、将来の選択肢が意識の内側に入ってくるタイミングが圧倒的に早いのです。
例えば、東京で生まれ育った人の中には小学校やその更に前から大学進学を意識して勉強を開始する人も田舎と比べたらはるかに多くいます。
幼稚園のお受験。
私立の小学校受験。
中学受験、中高一貫校への進学。
小学生の段階で大学受験を意識して、大学選択肢に入る人が少なくはありません。
地方の場合はせいぜい、高校入学以降に大学進学を意識するのではないでしょうか?
地方の平凡な普通科高校なら高校二年生になってから受験の準備を始める人でも早い方かもしれません。
大学進学という選択肢が視界に入る人でも、その選択肢が視界に入ってくる時期が違うのです。
大学受験について調べると「上位の大学に進みたいなら英語や数学は1年半程度先取りすべき」という塾講師の意見も見かけます。
少なくとも中学生よりももっと早くから大学受験を意識出来た人と、高校以降に大学受験を意識出来た人とでは使える時間が全く違います。
将来を意識出来るタイミングによる差というのも確実に存在するのではないかと、私は思います。
意識の格差の固定
田舎の底偏差値高校から都会の中堅私大を経て、転職で高学歴の多い企業に転職したからこそ感じていることがあります。
既に意識の格差の固定は起こっているのではないか、と。
一方は都会で生まれ育ち、自分の意識に入ってくるほど身近な場所に有名大学や進学校がある。
両親共に大卒で大学経由で社会に出た時のイメージが明確に出来るタイプの人間。
一方は田舎で大学に縁がなく、大学進学が選択肢にも入らないどころか意識も出来ない環境。
両親共に高卒で高校を出たら地元の企業で働きながら生きていけばいい、と考えている人間。
どちらが人としてあるべき姿か論じるつもりもありませんが、進学実績やその後の進路で人を評価するのであれば、やはり都会と地方の間にある意識の差は大きいものだと思います。
住む場所、家庭の環境で選び取れる選択肢が明確に異なるのです。
当たり前ですが、進学実績にも、その後の進路にも差が出ます。
そして、世代を経て地域と意識が固定化されていきます。
既にその状況には来ているのではないでしょうか。
終わりに。
今回の記事は都会と地方の間で学力や学歴に影響しうる差があることを述べた記事です。
自分に子供が出来たので、教育についても調べ始めたのですけれども。
子供にそれなりの学力、学歴を身につけてもらうための育て方が自分の歩んで来た道のりとまるで違うんですよね。
びっくりするくらいに。
親の収入も影響があるかとは思いますが、個人的には「選択肢として意識出来る環境を作れるか?」が教育においては最重要だと思います。
大学進学だけでなく、子供の可能性を広げるためにも「自分は○○になれるかもしれない」と思えるような環境を子供に用意することが、親の仕事なのかもしれません。
ではー。