以前、このような記事を書きました。
【ファーストジェネレーション】地方の高校生が就職志望から大学進学した話
私のような家庭で初の大学進学者のことを「ファーストジェネレーション」というようです。
そして、調べてみると身近に大卒者のいない環境では子供が大学進学を意識出来ないので、学力や学歴に差が出る、とのことでした。
非進学校で周りに受験を意識出来る環境がなければ、なおのことです。
今回は私の大学受験の振り返りです。
高卒就職で地元にとどまる人が大半、という偏差値38の非進学校から、大学進学をした時のことをお話します。
大学進学のきっかけ。
大学進学を考え始めたのは高校2年生の離任式がきっかけです。
いまだに覚えていますが2年生から3年生に上がるタイミングの離任式で他校に行く、ある先生がこんなことを言いました。
「この学校はぬるま湯だ」と。
世の中では君たちと同じ高校3年に上がる年代の生徒であれば、少なからず将来を意識している。
勉強に励む者もいれば、自分なりの目標に打ち込む者もいる。
しかし、君たちは違う。
努力をするでもなく、学ぼうとするでもなく。
同じ環境の生徒と馴れ合っているだけで成長がない。
世間はそんなにぬるくはない。
君たちがこのまま過ごすのであれば、いずれ必ず後悔する。
これくらいらい強い発言をした先生がいました。
まるで「清々した」とでも言いたいかのような表情で、口調で、まるで言い捨てるかのように。
そんな発言を聞いて「世の中の高校生ってどんなものなのだろう」と、自分の周りの外にある環境に興味を持ったことがそもそものきっかけでした。
モバゲーに変えられる意識。
とは言ったものの、先生が言う「世の中の同世代の高校生」とつながる手段がありませんでした。
そもそも、影響を受けるような交友関係があれば先生の話に触発されるまでもなく、考え方は変わっていたことでしょう。
しかし、自分の身の回りの関係だと自分の意識を変えるほどのインパクトを持った出会いはありませんでした。
そんな中で、たまたま見つけたのがモバゲーの受験サークルです。
今でいうところのTwitterやInstagramみたいなものですが、当時はSNSの走りとしてモバゲーでの交流がありました。
アカウントを開いて、プロフィールを作成して、サークルと呼ばれる集まりに参加して利用者が交流をはかる、ということをしていました。
スマホよりも前のガラケーの時代です。
そんな時代に、思いつきで探して見つけた受験サークルの内容に衝撃を受けます。
自分と同学年の生徒、下手をすれば2つも3つも下の子が自分には理解出来ないような勉強の内容をやりとりしていました。
おすすめの教材や模試の点数公開。
志望校や将来の夢を公開するようなスレッドが並んでいました。
そこに数千人だったかの利用者が集まって盛り上がっていました。
この人数が自分にとっては衝撃でした。
それまでは大学進学をするような人は限られた頭の良い人だけだと思っていました。
それこそ、中学時代に学年トップクラスだった数人が進学校に進んだ後に行くようなところだと思っていたので、自分には縁のないところだと思っていました。
それが数千人もの大学進学を考えている集団に出会ってしまったのです。
「あれ、もしかして地元にとどまる意外にも選択肢がある?」
「もしかして、俺でもいける大学がある?」
と、疑問と興味を感じたのがこのタイミングでした。
その後、しばらくスレッドをめぐってみての結論が「今のままではマズイ」と「俺でも進学出来るかも」と言うものでした。
同年代の価値観と自分の価値観が違いすぎること。
当たり前のように数千人の利用者が話している内容がまったく理解できないこと。
地元で生きていく以外にも多くの選択肢が世の中にはあること。
これらのことを自覚して「今のままではマズイ」と思いました。
同時に大学にはピンからキリまであって、一般入試とやらで点数が足りさえすればどこかの大学には入学できそう、と言うこともモバゲーのサークルで知りました。
最初の志望校。
最初の志望校が確か次の3つです。
- 山梨学院大学
- 関東学院大学
- 城西大学
理由は聞いたことがあるから。
そして、自分の通う高校でも指定校推薦の枠があるから。
これだけです。
最初は大学群も偏差値帯もまともに知リませんでした。
早慶ですら「なんか聞いたことがあるな」
MARCHでは「どこそれ?」
日東駒専「なにそれ?」
これくらいの認識です。
その後、モバゲーのサークルで偏差値帯ごとの大学群を知って、後に日東駒専〜MARCHの大学が志望校になりました。
学習環境。
超手探りでした。
高校に受験生が私を除いて1人だけいました。
その1人は都会から高校入試の直前に転校してきて、家の近所という理由だけで進学してきた人だったので、ハナッからレベルが違いました。
確か高校3年春の模試からMARCHでA判定でした。
一方、私はこんな感じ。
- 数学なら二次方程式からわからない。
- 英語なら三単現やbe動詞からわからない。
- 日本史ならば古墳時代から後が名前すら出てこない。
- 世界史は偏差値38の高校のテストで100点満点の8点を取るレベル。
- 政経は習った記憶がない。
- 倫理は紙飛行機が飛び、UNO大会が開催される状態で授業崩壊している。
- 理科は生物と物理は履修しておらず。化学Ⅰだけ履修はしたものの全授業居眠り。
当然、貴重な同学年の受験生さんとはレベルが違いすぎてお話にならず、他校の友達と一緒に勉強出来るレベルでもなかったので、独学で勉強を始めました。
開始1週間で勉強のペースもやり方もわからず、とりあえずバイトの貯金を使って進研ゼミを始めました。
家庭環境
当時の家庭環境。
- 母 年収350万円。
- 父 無職。
- 祖父母同居。
兄弟もいます。
実家が祖父の持ち家でローンも完済していたのでよかったのですが、家計の都合で大学進学は反対されました。
それでも何故か「変わるには今しかない」と強く決意していたので、受験勉強にかかる費用を賄うためにバイトを開始します。
「出してくれなくても、自分で何とかする」というスタンスで強行しました。
そして、とりあえず買えるだけのテキストを買ってきて勉強を始めます。
あそこまで固く決心できた理由は思い出せません。
勉強初期は勉強出来る自室がなかったので廊下の片隅に物置から引きずり出してきたちゃぶ台を出して勉強していました。
後に客間を勉強用に使わせてもらえるようになりました。
父が鬱気味だったので、最初のうちは夜中に勉強をしていると「俺への当てつけか!」とか「うちに金はないんだ!電気を消せ!」と、言った具合に乱入されたりもしました。
当時はつかみ合いの喧嘩までしましたが、今では和解しています。
金策
とは言ったものの、流石に金策もなしに大学進学は出来ないので進路指導室に相談しに行ったりはしました。
結果、各所からのローンや奨学金、進学後に自分のバイトを頑張れば何とか学費が工面できそうという見立てが立ちました。
このあたりで本気度が伝わったのか先生方の協力者が増えました。
ただローンを組むにしても親の名前は借りないといけないので、大学進学で必要お金をまとめて資料も集めて。
どこから何をいくら借りられるのかを全てまとめ上げて親に頼み込みに行きました。
どんな条件で借りられるのかもまとめて「迷惑をかけないから名前だけ貸してくれ」と、生まれてはじめて本気の土下座を親に対してやりました。
父は取り合ってくれませんでしたが、母がこの段階で味方になってくれるようになりました。
ローンの見立てが立ったことで、大学進学に現実味が出てきました。
母が大学進学を認めてくれた理由は「バイトをしながらの受験生活に本気度が見えたから」だそうです。
この頃はバイトをしながら2時就寝、4時起床。
受験に関係のない高校の専門科目で寝る、という生活をしていました。
ちなみに後に過労で倒れます。
味方が増える。
そんなこんなで必死に受験勉強をしていたので、徐々に味方が増えていきました。
母の他には高校の先生です。
特に国語の先生と英語の先生がとても良くしてくれました。
学校のテキストでもないのに添削や勉強を見てくれたり、休みの日に書店で私用の教材を探してくれたりしてくれました。
特に英語の先生は担任でしたが、土日や夏休みにマンツーマンで勉強を見てくれたり、校則で禁止のバイトをしているのもスルーしてくれたりしていました。
いつかお礼が言いたいです。
あとは保健室の先生。
顔パスで微熱としてくれて、ベッドを仮眠で使わせてくれたり、早退させてくれたりしました。
早退したら自宅で受験勉強をしていました。
なお、その後の話で早退しすぎて危うく留年しかけます。
出席日数の都合で単位を落としかけました。
勉強のモチベーション
こんな感じで並べてみると、そこそこハードな環境で勉強をしていました。
そんな受験期のモチベーションは大きく3つです。
ひとつが妬み。
ひとつが蔑み(さげすみ)
そして、もうひとつが自己陶酔です。
書いている自分が思っていますが、最低でしょう?
でも、ここは正直さをウリにしているブログなのでぶっちゃけで書きます。
まず蔑み。
高校の同級生を見下していました。
分数の計算も出来ない。
三単現もわからない。
12月のことを自信満々に「しらす」と答える。
このレベルで大人になったら人生が終わる。
俺はこいつらとは違うんだ。
もし、失敗したらこいつらと同じ道を辿るんだ。
見下しながら、自分に発破もかけていました。
次に妬み。
自分より恵まれた環境の受験生すべてを妬み、怨んでいました。
「何の苦労もなく受験出来ているクソボンボンに、自分の意思で挑んでいる自分が負けるはずがない。負けるわけがない」とか考えていました。
そして、最後に自己陶酔。
こんな厳しい環境で努力が出来る自分はすごい。
自分より偏差値の高い高校で親の支援を受けて勉強している奴よりも良い成績が取れるなんて、自分はきっと賢いんだ。
ざまぁみろ、バカどもが。
これくらいのことは考えていました。
しんどかったので必要以上に歪んでいたのかもしれませんが、本当に最低な中身のモチベーションでした。
でも、不思議と頑張れるんですよ。
ネガティブな中身のモチベーション、というのは。
たぶん、自分のことを悲劇の主人公に仕立て上げないとどうにもならなかったんでしょうね。
だって、本気でしんどかったんですもの。
勉強方法
世の中の受験生の進捗は毎月届く進研ゼミの内容を参考にしていました。
勉強方法は基本的には力づくです。
半分寝ながらでもテキストを回して、うわごとのようにテキストを音読する。
まっすぐ線が引けなくなっても意識が飛ぶまで問題を解く。
どう考えても効率が悪いのですが、ただひたすらに詰め込み続けました。
髪を切る間も惜しんで勉強をしていたので、卒アルの写真がえらいことになっています。
髪の伸ばしすぎで鬼太郎みたいになっています。
自分の記憶にはありませんが、母曰く受験中期には深夜に1人で何人かと会話するような感じでうわごとのように話し続けていたらしいです。
途中で古文を和訳して英訳したり、現代文や英文で政経の関連ワードが出たら、その内容について解説を語る、という謎の勉強法も出来あがりました。
効果があるかは知りません。
どれもこれも今なら絶対にやらない勉強方法ですが、ある程度は詰め込めたので、そこからはひたすらに問題を回しながら知識を詰め込むような勉強をしていました。
vs ばあちゃん。
受験後期に苦しめられたのが祖母の態度でした。
受験勉強を始めて、勉強に打ち込むたびに
「オレ達のことを捨てるのか」
「長男なのに実家と縁を切るのか」
というような発言が増えてきました。
ちなみに田舎のおばあちゃんなので、一人称はオレです。
更に年を越すと「ウチの孫はこの時期になっても進路が決まらない。恥ずかしい。ろくでもない」というようなことを世間話で近所の人に言って回るようになりました。
私は1〜2月の一般入試で大学に合格しているので、大学受験のスケジュールから言えば遅いわけでもありません。
ただ、祖母の比較基準は就職や専門学校のスケジュールです。
近所の友達がみんな12月までには進路が決まっているような状態だったこともあり「ウチの孫はいつまでも進路が決まらずにどうしようもない」みたいなことを言っていたようです。
受験直前のただでさえナーバスな時期にそういうことをされるとメンタル的にも揺らぎます。
結局、合格するまで撤回もしてくれなければ、井戸端会議のネタにするのもやめてはくれませんでした。
以上。
気が済んだので、今日の記事はこれくらいにしておきます。
大学入試も得意の国語でマークシートをずらしてマークしてしまったが、思いの外伸びてくれた英語の点数に助けられて合格出来た、というエピソードもあったりしますが、なんだかんだで大学進学出来ました。
最終的には母が金銭面も切り詰めてくれて大学の学費はローンを組まずに済みました。
そんなこんなで無事に大学生活が始まっていきます。
ここまで読んでいただけた物好きな人。
いかがでしたか?
読み進めていただけるだけの面白みはありましたか?
今回の記事はかなり正直に書きました。
モチベーションのあたりの話は完全に好感度を下げる話です。
それでも、あえて書きました。
せっかくなら嫌なところも晒そうと思ったので。
その方がテキトーな綺麗事よりも誰かの役に立つかもしれないと感じたので。
ここまでネガティブな内容で体験談を出す人もいないでしょう。
一応、言い訳をしておくと今の意識は随分と違います。
ただ、しんどさを乗り越えるためには八つ当たり的にネガティブな感情も使って自分の勢いにブーストをかけていくのも有効だと思います。
綺麗事だけでは乗り越えられないこともあるとも思います。
はい。
今回は好きなだけ自分語りをする回でしたが、引き続き正直にブログは更新していこうと思うので、よろしくお願いします。